生来の猜疑心から弟義経を退けようとする兄頼朝に追われ、
奥州平泉の藤原氏のもとへ落ち延びようとしました。
頼朝は、これを捕えようと、各地に新関を設けます。
ここ安宅(あたか)の関守は、富樫左衛門(とがしさえもん)。
そして文久3年(1187年)3月頃、
山伏姿に変装した義経、弁慶以下主従が安宅之関に差し掛かります。
一行の山伏姿を関守富樫に疑われると、
東大寺復興勧進のため諸国を廻る役僧と称し、
勧進帳(寄付帳)の空読みを行った弁慶の機智。
強力姿の義経が咎められようとすると、
疑念を晴らすため金剛杖をもって主義経を打ち据えます。
富樫は弁慶のとっさの機転と主思いに心を打たれ、
義経と知りつつ主従の通行を許すのでした。
この物語は、美談として、
広く知られています。